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本日は六の字こと六覺千手氏よりお話頂だいいたしました。12月に行なわれる地車写真展に向けて氏の「地車撮影考察」のおはなしでございます。

だんじり祭を写真で表現する。
写真とは物語の切り抜きである。写真とは撮影者の意識が造り出す物語の切り抜きでもある。

わたくしの場合、撮影中に構図を決め、例えば町中にある看板を意図的に枠の外に隠して撮影をすることもある。

法被姿の人物だけを切り取ったり、見栄えの悪いものをフレームから外したりと、かなりの操作を行うのが事実である。

これは良いとか悪いとかといった問題でなく、写真もある意味では虚像だということだ。
六覺千手が描くだんじりの絵というものは描き手、わたくしの意思以外に働くものはない。

偶然は皆無で全て意識的に選ばれた構図、色彩、事物である。
これは六覺千手の美意識や感覚が直接的にキャンバスの上に表現されていくものである。

しかし一旦写真という表現に変われば全て意識的にとは中々いかない。
祭礼写真の場合は完全に意識的に捉えるのは不可能といってもよい。

群集、天気、だんじりの動き、表情など次の行動が予測不可能なことが数多くある。
それを如何に予測し、または予測不可能な事物の変化に対応し、

表現したい物語を一瞬で切り抜くか、これが写真の面白さであり難しさなのである。
撮影はかなりこっそり行う。時にはファインダーも覗かずに撮影する。

三次元の世界を二次元に置き換え、さらに音もなくなり匂いもなくなる。しかし無くなったそれら補う写真撮影。
それが物語を切り抜くということだと考える。

風が強ければ風を撮り、雨が降れば雨を撮り、暑けりゃ暑さを寒けりゃ寒さを、暗けりゃ闇を撮ればいい。
そして目の前の物語を切り抜くのだ。

六覺千手http://www.k-rokkaku.com/

 古磨屋http://www.koma-ya.jp/

 

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