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さて本日は地車名所独案内の1ページ目と190ページ目のお話、お話
本書の1ページ目と190ページ目には岸和田城下の絵図がある。
はじめの絵図は江戸前期 五層の天守がそびえ立つ。
お後の絵図は幕末の 天守焼失お城無し。
しかしどちらも現在の 城下の土地割りそのままに
今は昔のチョンマゲ時代 それから今まで変わらぬこの地
これを長めりゃ一目瞭然。城下の成立一目瞭然。
寄ってらっしゃい見てらっしゃい
本丸 二ノ丸 三ノ丸
岸和田御宮に神明社 長泰勧請・三ノ丸稲荷
北大手門をくぐってコナカラ坂
本町・中町・町曲輪、堺町の外曲輪 浜に繋がる汐入門
今はS字と内町門に堺口門
古城川に架かるは欄干橋と城見橋
港に祀るは浪切不動
日待講の大神宮・・・今と昔が完全一致。
これぞ岸和田 城下の歴史
今と変わらぬ岸和田の町。
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古地図
岸和田城下の絵図は3、4点存在する。そのうち彩色豊かで丁寧な造りの2点を、本の1ページ目と192ページ目に使用した。上の図は、正保二年(1645)小出秀政が城郭整備をはじめてすぐの城下町。五層の天守閣がしっかりと描かれており、御宮(岸城神社)と神明社の社も描かれている。まだ浜地域に住居はなく、港も開発されていないが、見ての通り確りとした区画整備がされている。下図は幕末の城下絵図である。文政十年(1827)に落雷で天守が焼失しており、絵図にも描かれていない。上図は国立公文書館より、下図は並松町の高林家よりお借りした。
地車22町の町名を丸覚えすることは難しいが、城下町の成立過程を基にすると、意外と町名と町位置が覚えやすい。本書170ページを参照されたい。
地車22町の町名を丸覚えすることは難しいが、城下町の成立過程を基にすると、意外と町名と町位置が覚えやすい。本書170ページを参照されたい。
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